Extreme 10yen Game
1st
[XI Koraelano DERER]

【5】

『『残り30秒』』
その声にコレラノは我に返った。頭に血が上り過ぎて失念していたが、必ずしも勝つ必要はないのだった。というのも、ルール上リーダーは引き分けでもその座を防衛できる。平たく言えばボクシングの様なもので、あと30秒――弱、自分はこのフィールド内で気絶しなければよかった。

「シャオさん、あそこに落ちてるのって…」
『うん。ジュニアのヅラ…じゃなくてコインだ』
「え、コインが落ちてもゲームは続行するんですか!?」
「ああ、エクストリーム10円ゲームでは、どちらかが気絶したとき――最悪死に至ることもあるが――に勝敗が決まるんだ。まあ気絶すればコインは落ちるしコインが落ちれば気絶以上はするからな」
「ブルーインさん、また解説なんかしちゃって、コメディリリーフはもう終わりですか?」「うるさいお前こそもっと緊張感を持て」
『その手の役割はおれのほうが適任だって作者が判断したらしいぜ!』「お前も割り込んで来るな!」
すっかり盛り上がり騒がしくなった外野を、快く思わないものがひとりいた。
『今はゲーム中です。お静かになさい』
金の大鳥は、いかにも不快だ、とすました顔を少し崩し眉をひそめていた。
「すみません」
『見学者たちはともかく、ドラゴンくん、あなたはノキア・リーの精霊でしょう。その自覚があるのならば、責務を全うしなさい』
『でもさぁ』『言い訳ですか、見苦しいですよ』『うう…』
『残り30秒を切り、ここからが正念場なのです。気を引き締めて参らねばなりませんね』
『…』
『なりませんね!』『はいっ!』
金鵄が睨みをきかせる中、ナミセは言った。
「とりあえず、どうしてノキアは気絶しないんでしょうか」
『それは…たぶん…』発言したとたんシャオは殺気を感じ、彼は慌てて口を閉じた。代わりにブルーインが、シャオにいささか呆れながらも、答えた。
「あいつが今封じられてるのが、触覚だからだろ」
「え?」「聞いたことないか、死ににくい兵隊の話。たちの悪い薬漬けにして、痛覚を麻痺させて、自分が死んだことに気付かない殺人マシーン。致命傷を受けても何のその。例えは悪いが、ノキアはそれに近い」
「マシーン…」ナミセは、ノキアの顔を見つめていた。

[またラブノウ族が…]
[やはりプライドが高いんでしょうか]
[これは由々しき事態ですね…なんとかしないと]
[なんとか?]
[多少手荒な真似でも、致し方ないかねぇ]
[予想外のことになった…あのガキ、全部、全部吹っ飛ばしやがった!]
[今すぐそいつを捕らえろ!じゃないと取り返しのつかないことになる!]
[その少年の名は?]
[…ノキア・リー、でございますでしょうか]

バシュッ、
それは一瞬のうちの出来事だった。コレラノは手を抜いたつもりも、気が緩んだ自覚もなかった。しかし、最早相手の動きを目で追うことは出来なくなっていた。それほどまでにノキアの加速は止まることを知らなかったのだ。いつの間にかあちこちに攻撃を受け、いつの間にか視界が霞んでいた。
コインがふわりと空中へ飛んでいく。それはまるでスローモーションのようでこれなら受け止められる、とコレラノは思ったが、自らの身体はそれ以上にゆっくりとしか動けなかった。
コレラノは感じた。自分は曲がりなりにも『選ばれし者たち』。死ぬことはないだろう。
けれども次に目を覚ましたときには、失うものが多すぎる…。
まるで絶望に飲み込まれるかのように、彼の意識は闇に包まれ、この後の号令を聞くことはなかった。
『『止め。この勝負、コレラノ・デーラーの気絶により、挑戦者ノキア・リーの勝利といたします』』
「終わった…?」
辺りは静まりかえっている。まるで時が止まったかのように。ナミセがぼそりと呟いた以外は、時折吹く風が木の葉を巻き上げ音を立てるばかりだ。
ナミセはコレラノの精霊の表情を見つめた。何を思っているのか、とても気になったからである。しかしそれは自らの主人を眼差しながら薄く微笑んでいた、それだけだった。ナミセは声をかけてみようとしてやめた。
『やべっ消えちまう!』
永遠にさえ続くかと思われた沈黙を破ったのは間抜けな悲鳴だった。
『おい、お、お前ら!ジュニアを頼むぞ!』
「頼むぞ!ってなにを!」
『えーと介抱とかフォローとか…あ、そんなことより』
ブツン。
まるでなにか回線が途切れたかのようにシャオが、全ての思惑を無視して、消えた。
再び沈黙が流れた後、
「「あああああーっ!!」」
「結局なんなの!?」「あの野郎肝心なこと言わずに消えやがって」
「私たちシャオがいないと戻れないじゃない!」「あ、そんなこともあったな…すっかり忘れてた」
「こんな何もない、得体の知れない場所にほっぽりだすなんて、あのドラゴンいつかシバいたる」
「なんだかデジャヴだな…まあとりあえず、あいつの様子見てみるか。おーい、ノキアくん。ケガはないか?自分で歩けるかー?」ブルーインはよっこらせと腰を上げると、ノキアのほうへと向かった。けれどもしかし、
ドサッ。
ブルーインの足から力が抜けた。体を支えていられなくなり、わけもわからず地面に倒れこんだ。唯一、ノキアから攻撃を受けたことだけ理解して。
「ブルーインさん?!」
「こいつ、まだ…」
髪の色が目についた。茶色がかってはいるが、およそ本来の色である橙色とはいえなかった。ナミセは彼がいまだ狂気の内にあることを悟った。
「ノキア!戦いは終わったのよ!」
その声に反応して、ノキアはゆらりと方向転換すると、ナミセのほうへ向き直った。
「おわった?」
「…そ、そう!」暴走に暴走を繰り返している今のノキアが、人間らしく口をきくとはナミセは思いもしなかった。
「じゃあ、…あれ、おれにつみをきせたのだれだっけか?ラブノウをもやしたのはだれだったかな…?わからない、わからないわからないよ。そう。わからないままなんだよ。しってるの、きみはそれがだれだか。だったらおしえて?かたきをうたなくちゃいけないから…しらないんだったら、あー、おれのじゃまとかしないでよ」
ノキアはそう言って不機嫌そうな表情をした。それを引き金として、激しい風がナミセの体をなぎ飛ばした。
「きゃ!」
「ナミセ!」
「…じゃまだよ」
予測される衝撃に、おもわず目を堅くつむった。
しかし、あたりに響き渡ったのは、おそらくノキアの、舌打ちの音だけだった。
目の前にはなぜか壁ができている。そして、その壁はよく見ると人間のようであった。
「これはまた、おぞましいことを」
「サンタ…マリア?」
「このくらいの戦いごときで自我を見失うとは、案外小物だったのですね。世紀の大罪人、ラブノウの後継者。まったく、二つ名が泣きますよ」
ノキアはサンタマリアを燃えるような眼をして睨んでいた。きつく噛みしめられた口許からは、血が流れ始めている。
「ばかにするな」
「ふふふ、ここで獣のように飛びかかってこないところは評価してさしあげましょう。…そして、そこのお二方」
「はい!」反射的に小気味良い返事を返してしまい、ナミセは少し悔しくなった。
「…」
「なんだ」ブルーインはようやく体を起こせるようになったらしかった。
「止しましょう。今ここで申しても、あなた方を混乱させるだけですから」
「どういう意味だ、偉そうに」
「それに、私の見立てたところだとそろそろ…」
サンタマリアは表情を柔らかくした。
「彼が、倒れる」
その言葉通り、二人の後ろから大きな鈍い音が聞こえた。
「ノキア!」
「大丈夫だ、脈はある」
彼はさらに表情を緩めた。先ほどとは、また、別人のようだとナミセは思った。一体、彼の素顔はどれなのだろうか。
「戦いのフィールドは精霊が幻覚でつくり出しているので暫くすれば戻れます。哀れなコレラノサマは私がどうにかしますのであしからず。では、また。そうですね、近いうちにまたお会いできると思いますよ」
「!?」
サンタマリアはコレラノをひょいと片手に担ぐとゆっくりと立ち去った。
「なんだったの、あれ…?」ナミセは考えることを放棄しかけていた。突然の出来事には慣れているつもりであった彼女も、今回ばかりはお手上げだった。
「とにかく今はあいつのことが先決だ。あの青いデカブツも言ってただろ、介抱しろって」

「ここは…」
頭の中がぼんやりとする。なんだか長い夢を見ていた気がする、と思ってから、ノキアはまたか、と頭を抱えたくなった。しかしそれはできなかった。
というのも、
「お目覚めかな?ノキア・リー君」
「ぎゃああああああ!」
目の前にはクマ人間。ブルーインがノキアの顔を覗き込んでいた。
「やだぁ、叫ぶことないじゃないのあたし困っちゃうなあ」
「寝起きで頭が働かないけどとりあえずキモいです」
そのとき、足音を豪快に響かせながらナミセが文字どおり、飛び込んできた。
「どうしたのノキア!…なんだ、またか。ブルーインさん無音で迫り来るのもう止めてくださいよ。体調どう?あ、あのクマ人間になにかされてない?」「いやいや本当に俺のこと何だと思ってんのナミセちゃん」
「まあ、なんとか」
「それは良かった。なんかうなされてたみたいだったけど、大丈夫そうだね。いま、ナミセのナミセによるノキアのためのスーパーかつ丼(もちろん味噌で)作ってるからもうちょっと待ってて」「また重いものチョイスしたな…」
「あの、」
「どうかした!?」
「なんか焦げ臭いですけど」
「「えええええ!?」」
バタバタと大慌てで階下へ下っていくふたりを眺めた後、ノキアは起き上がりベッドから降りた。

「そろそろ頃合いか」
デーラー城はまだ遠い町の路地裏で、サンタマリアはコレラノを乱暴に放り落した。石畳に体を打ちつけたコレラノから、うっ、と呻き声があがる。けれども、目を覚ますには至らなかった。
「いくら血筋が良くても、派手な服装をしても、崇高な理想を持っていても…」
ネックレス、指輪、髪飾り、毛皮、身に着けていた装飾品を次々と外してゆく。
「実力がなければ、ただの負け犬でしかない」
言葉を転がしながら、アクセサリーのひとつひとつをわざとコレラノへぶつけていく。そこには柔らかい笑みも、小馬鹿にした表情もなかった。ただ、瞳の奥では青色の炎がごうごうと燃え盛っている。
「私は、…この口調にも飽きたな…俺は、ここから成りあがっていく。お前を踏み台としてね」
すっかりタイトなスーツ姿になった元部下は、ジャケットに付いた汚れを手早く払うと、同じく派手な布の固まりと化した元上司にくるりと背を向け、足早に去って行った。
残されたコレラノは、
サンタマリアの姿が見えなくなったことを確認してから、
まるで何事もなかったかのように自然に体勢を整え、立ち上がった。
懐から携帯電話を取り出し、アドレス帳を繰っていく。
「また、面倒な出走だこと…」
せっかく上等なものを買ってやったのに、と服と宝石の山を見て思いつつ、もう5秒と経たずに聞こえてくるであろう声の主のことをぼんやりと考えた。